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防衛医科大学校病院の拷問

このウエブサイトは11歳のアメリカ少年ジミーが、防衛医科大学校病院の軍医ら4名から受けた残虐な拷問行為の記録です。

当時11歳の息子ジミーが受けた内容は、人道的に考えてもあってはならないことであり、それは、ジミーと酷似したケースであるジャマル・カショギ(Jamal Khashoggi)氏への殺害行為が、世界からバッシングされた事実を見ても明白です。
防衛大学病院の医師・看護士ら4名がジミーに実行したカショギ氏と酷似した行為は、まさに殺人未遂の未必の故意としか言いようがありません。

​​カショギ氏と息子の酷似した行為については、こちら

なぜ、退院日だった12月28日に、ジミーは、頭にビニール袋を被せられて呼吸停止しなくてはならなかったのか?

それも1回ではなく数回、軍医らは苦しみ医療カルテ記載の言葉を使えば、スクリーム(泣き叫ぶ)していたジミーが二酸化炭素ナルコーシスになり呼吸停止し仮死状態になるのを待っているかのように頭にビニール袋を数回被せる必要があったのでしょうか?

​世界中のニュースが、サウジアラビア出身のジャーナリスト、ジャマル・カショギ(Jamal Khashoggi)氏がトルコのサウジ総領事館内で頭にビニール袋を被せられて呼吸停止させられ殺害された事件について報道しています。また、同様に、世界では、アメリカ人のDaniel Prude氏がアメリカの警察に頭にビニール袋を被せられた為に死亡した事実を報道しています。​

ジミーが小島らにされた行為は、ジャマル・カショギ(Jamal Khashoggi)氏にくらべてニュースにならないレベルなのでしょうか?警察が動かないほどの事件なのでしょうか?

​ビニール袋を頭に被せて呼吸停止させる行為は凶悪犯罪です。

​これは、子供でも分かる危険行為犯罪です。

殺人未遂事件 防衛医科大学校病院 実行者

防衛医科大学校病院 小児科医師 若松太(当時)

防衛医科大学校病院 小児科医師 小島令嗣(当時)

防衛医科大学校病院 看護婦長 岩鼻まゆみ(当時)

防衛大学病院 看護師 樋口(当時)

​​

事件概要

防衛大学病院の若松医師・小島医師・岩鼻婦長・樋口看護師らは、2007年12月28日午前10時30分~午後2時の間に、当時、防衛大学病院に肺炎で入院中の息子(当時 11 歳)に対して、インフォームドコンセントも無く(説明義務違反)、両親への承諾も無く、無断で、厚生労働省が治療とは認めていない方法である、ビニール(ナイロン)袋を頭に被せるという行為を実行、其の後、なんらかの原因で低酸素脳症、二酸化炭素ナルコーシスの状態にさせ息子の呼吸を停止させ、重度の昏睡状態、遷延性意識障害(植物人間状態)にさせた。

しかも、上記の原因により自発呼吸も少なくなるという重症の遷延性意識障害(以下『植物人間状態』という。)、重度の昏睡状態・意識不明になり、42度の高熱。血糖値300以上。対光反射・角膜反射消失。身体の硬直。ミオクローヌス癲癇など、多数の治療の必要な状態になりながら、すべての必要な治療を放置された。(保護責任者遺棄?)

その為、低酸素脳症、二酸化炭素ナルコーシスと処置の遅れから脳のダメージは脳幹まで進み、約22時間後である12月29日の早朝に、2度心臓停止を起こした。

退院が12月28日に決定していた2日前に、なぜか見知らぬアレルギー専門医がアレルギーの無いジミーの担当に加わる。

ジミーは、全くアレルギーの無い子供でした。

しかも、容態は回復していて、2日後に退院が決定していました。

しかし、なぜか、事件の2日前に急遽アレルギー担当医師である小島令嗣(こじまれいじ)が担当医師に加わったのです。

 

小島令嗣(こじまれいじ)が挨拶に来たとき、なぜか強い不信感を持ちました。

 

なぜなら、彼は、直立不動だったのです。

 

私達に挨拶するだけなのに、直立不動。

しかも、なぜか、私達に挨拶しているのに、まっすぐ、病室の壁を見て話しているのです。

私達の眼を、一切見ません。

しかも、人差し指で、ベッドの手すりを、コンコンとたたきっぱなしです。

誰が見ても、普通では無い医師が入ってきて、「ジミーの担当になりました。」というのですから吃驚でした。

 

私は聞きました。「​ジミーの状態はよくなっているのに、なぜ?わざわざ、アレルギー専門の先生が加わるのかですか?今までに無いパターンなので、通常、ありえないですよね。息子は、他にどこか悪いのですか?」

 

すると、小島令嗣(こじまれいじ)は、やはり、壁を直視しながら、「いいえ。そういうわけではありませんが、アレルギーがないか検査します。」というのです。息子は、赤ちゃんの時から、何度も入院してきましたので、多数の先生を知っていましたが、話すときに、両親や患者をみないで、直立不動で、顎をあげて、壁を直視しながら話す医師は見たことがありませんでした。ちょっと不気味に感じたので、私は言いました。「息子は、子供の時から、アレルギーなどは全くありませんから、これ以上、検査しないでください。今、機嫌がいいし、体調も問題ないと言われているので、大丈夫です。」と答えると、ベッドの手すりをたたくスピードが増して、「そうですか。」といいながら、部屋から出ていきました。

まさか、この小島令嗣(こじまれいじ)が、その後、息子の頭にビニル袋を被せることになるとは、思ってもいませんでした。

12月28日

​健康体なのに退院を妨害される

​事件の当日

この事件は、2007年12月28日午前11時から午後01時の間に起こりました。(もしかしたら、10時30分過ぎかもしれません。)

主人は、非常に子煩悩で、この1週間、東京での会議をすべてキャンセルして、息子の病院に付き添っていました。息子は、心待ちにしていた退院の朝である事を知っていたので、朝早くから機嫌がよく起きていたそうです。主人からかかってきた電話でも、其の事が知らされていました。

 

『今日は、ジミーちゃんが、とても機嫌がよくて朝から笑ってばかりいるんだよ。早く、帰りたいから、朝食も、すごく早く食べたんだよ。』

 

其の日は、午前中退院予定でしたので、主人は、1週間ぶりに、大切な会議を入れていました。ニューオータニホテルに、ロシアのお客様がいらっしゃっていて大切な会議があったのです。又、師走と言う事もあり、仕事納めの忘年会などもあるため、この日は病院に戻る事ができません。翌日、29日からは、京都でお正月を迎える為に、途中の温泉などを予約を入れていました

 

しかし、主人から入った2度目の電話内容はひどいものでした。

 

主人は電話の向こうで、息子の医師である小島令嗣(こじまれいじ)医師と、言い合いをしていました。

その理由は、退院予定で荷物をまとめていた主人に対して、急遽、小島令嗣医師から、『若松医師が夕方まで学会で外出しているとか、病院内にいるけど、連絡が取れないとか、若松医師がいないので、今日は退院ができない。』といわれたのです。

主人が驚くのは当然です。

主治医が所在不明なのは、私達に非があるわけではありません。

それなら、他の責任者が退院承諾の判を押せばよいはずです。

しかし、なぜか、頑なに、退院を拒みます。

主人    『主治医がいないから、お正月明けの4日まで退院ができないなんて信じられない。主治医がいないから、お正月を病院で過ごしなさい。なんていう病院は聞いたことが無い。』

小島    『主治医がいなければ退院はできません。そういう規則になっています。明日から、お正月休みなので会計ができません。4日まで退院はできません。』

主人   『主治医がいないから、お正月を病院で過ごさなくちゃいけないなんて、どうかしてる。考えられない。今日は退院だって、2日まえから言われている。若松医師が準備していなかったのは、私の責任じゃない。明日から、息子と一緒に京都に行くので、どうしても、退院させたい。息子は、温泉に行くのを楽しみにしている。お正月、このインフルエンザの多い、病院にいなければいけない理由がわからない。』

小島   『それなら、入院させなければよかったじゃないですか?』

私は、話しをききながら、この小島医師の矛盾した会話内容に不信感を抱きながら、小島医師に電話を代わってくれるように主人に伝えました。

小島医師は、若松医師が学会で夕方までいないと言ったり、病院内にいるけど、連絡が取れない。と言ったり、度々、話しが変更します。しかし、どうしても、退院はできない。の一点張りです。

私が、『息子は、何度も入院したことがありますが、主治医がいない場合は、他の医師で退院許可はもらえますよ。』というと、相談して折り返し、電話すると言って電話が切れました。

​誰に相談するのだろう?と不思議な気持ちになりましたが、結局、『どうしても、主治医の許可が必要なので。』の一点張りで、結局、翌日、退院することになりました。

この時、主人は、小島医師の様子が不自然だ。と何度も言っていました。

『直立不動の状態で大声を出している。』と言っていました。

後で、私に、息子の様子を説明するときも同様でしたが、確かに、この小島医師の状況には、不自然な感じがしました。直立不動で、私の眼を見ずに話していました。

このような不自然さは、録音テープを聞いて頂いてもわかります。

 

もし、あの時、私が、病院側の対応を疑えば、そして、主人の言っていた、『小島医師の態度が、いつもと全く違う。直立不動で大声を出している。』という話しを、もっと真剣に聞いていたら、息子は、あんな惨い目に合わずに済んだのだと思います。

主人は、会議の時間が迫っていたので、仕方なく、息子に、

『ジミーちゃん。今日は退院できなくなっちゃった。でも、明日は温泉だからね。パパは、朝一番で迎えにくるよ。約束するよ。』

そう言って、指切りをして帰ってきたそうです。

 

息子は、とても不安そうな顔をしていたとのことでした。

 

主人は一旦帰宅してきてからも、

 

『おかしい?主治医がいないから退院できないなんて、今までで初めてだ。様態の良くなっている患者を主治医がいないだけで、まだ、入院させるなんて、どうしても考えられない。』

 

とスーツに着替えながらブツブツと言っていました。

その後、私と一緒に会議の為にニューオータニに向かいました。

事件直後に岩鼻まゆみ婦長?(本人は婦長と言っていたが本当は看護師長?)から掛かってきた電話

ところが、東京に向かう車の中で、なぜか、岩鼻婦長から電話が入りました。

 

其の内容は、

婦長  『今、何処にいますか?』

 

私   『えっと!どうしてですか?病院に戻った方がよいのでしょうか?』

(私は、この時、主治医が見つかった?と思ったのです。)

 

婦長  『いいえ。そうではありませんけど、今、どちらにいますか?』

 

私   『今、5号線ですけど。』

 

婦長  『えっ!5号線?病院に向かっているんですか?』(驚いた様子。)

 

私、  『いいえ。東京です。』

 

婦長  『ああ。そうですか?わかりました。』(安心した声。)

 

婦長  『えーーーっとですね。パジャマを5.6枚持ってきてください。それと、多めにテッシューパーもお願いします。』

と言います。

 

私  『明日退院ですが?本当は、本日、退院でしたが、若松先生がいらっしゃらなかったので、本日の退院が明日になりました。それで、どうしてパジャマが必要なんでしょうか?』

婦長 『えーーーーっと!病院の決まりですから。それではお願いします。』

 

と言って、一方的に電話を切ってしまいました。

 

今まで、話した事など一度も無く、勿論、息子の病室に来た事も無い、いつも忙しいはずの岩鼻婦長から、わざわざ電話がかかり、『今、何処にいるのか?』と執拗に問いただす。

しかも、明日、退院予定の息子のパジャマを5.6枚持ってきてくれと言う?

 

いったい、この電話は何なんだ?と主人と話しながら、私は、何か胸騒ぎを感じがしました。

それほど、この早口でまくしたてるように話す婦長の話し方に異常を感じたからでした。

すぐに、主治医の若松医師に電話をしました。すると、夕方までいないはずの若松医師が、電話に出るではないですか?

いったい、これって何?と思いながら、若松医師に聞きました。

私   『先生、今ほど、婦長さんから電話があって、パジャマを5,6枚、もってきてほしい。と言うのですが、息子の退院は、明日ではないのでしょうか?』

 

若松医師 『ああ。間違いなく、明日の退院ですよ。』

 

私    『そうですよね。ありがとうございます。息子は、どんな状態でしょうか?』

 

若松医師 『先ほど癲癇(てんかん)が少しありましたけど、セルシンとダイアップを同時にあげたところ、癲癇(てんかん)は止まっています。』

 

私    『そうですか?ありがとうございます。明日は京都に向かうので途中温泉によっていくので、息子も楽しみにしているみたいです。今日は主人の仕事治めなので、今日は病院にいけませんが、明日、主人は朝一番で病院に行きますので、よろしくお願い致します。』

そういって電話をきりました。

 

私は、主治医のダイアップ(てんかん薬)とセルシン(てんかん薬)を同時にあげた。という言葉が気になっていました。

なぜかと申しますと、息子は、主人が出てくる時には、とても体調がよく、癲癇もまったくありませんでした。

今までの経験から、そのような状態の息子が僅か2時間ほどで、セルシンとダイアップを同時にあげなくてはならないほどの癲癇が起こったことなどなかったのです。

癲癇(てんかん)をご存じない方は、分からないと思いますが、癲癇は、一人ひとりタイプが異なります。

​その為、子供の癲癇について最も詳しいのは、いつも癲癇が起こるパターンを知り尽くしている両親ではないかと思います。

 

通常は、癲癇が始まるとダイアップをあげます。

ここで、普通は止まります。

 

様子を見てから止まらない時は、時間をあけてからセルシンをあげます。

 

それが、同時にあげた。と言う事が気になって、私は主人に再度若松医師に電話をして貰いました。

 

そして、間違いなく癲癇が止まっている事を確認し、同時に主人が、

『明日の退院は、新年で京都に向かうので、朝早く迎えに行きたいのですが、大丈夫でしょうか?』

と聞くと、

『問題ありません。私がいないかもしれませんのが、其の場合でも退院はできます。』

と、仰います。

 

主人は、

『なんだ。やっぱり、若松医師がいなくても退院ができたみたいだな。なぜ、できなかったんだろう。』

と、また、ぶつぶつ言いながら、一応、安心して、急いで仕事の会議に入りました。

 

其の後、夕方の6時と夜の8時にも、息子の様態を聞くために、病院に電話をしましたが、『全く、問題が無い。』と、若松医師から言われましたので、すっかり安心しておりました。

 

しかし、実際には、後日、若松医師の口から聞いたのですが、婦長からの電話をもらった時には、既に、息子は、植物人間状態になっていたのでした。

 

そのため、入院が長期化すると判断した岩鼻まゆみ婦長が、私に『パジャマを5、6枚持ってきてほしい。』と言ってきたのだ。と気が付いた時には、既に息子は植物人間状態になり昏睡状態で生死もわからない状態で動かなくなっていたのだそうです

若松太の録音テープの会話内容に関するQ&A

母親     『と言う事は、28日から、低酸素脳症になっているという事じゃないですか!』

若松医師   『ええっと。低酸素ではないと、、、、、、、、、!』

母親     『じゃあ、二酸化炭素が多いと、』

若松医師   『多かったのは、確かかもしれません。』

(これまで低酸素脳症だと言っていたのが、急に二酸化炭素が多い事が原因だと告白している。いわゆる二酸化炭素ナルコーシス。理由は何であれ、28日から、息子が、低酸素脳症?二酸化炭素ナルコーシス?などの異常的な理由により植物人間状態になっていた事を認めている。)

母親     『じゃあ、二酸化炭素が多かった理由って言うのは、何なんでしょうか?』

若松医師   『それは、あのーー!ええー!一番考えられやすいのは、挿管させていただいた時に、大量の痰が引けてきましたので、それが、溜まってきていた。って、言う事が一番、考えられやすいのではないでしょうか?』

(嘘?事実?29日の日は、頭にビニール袋を被せた為に呼吸停止した。低酸素脳症だと言っていたが、ここでは、異なる理由を話している。あまりにも、若松医師の嘘が多いので、どの話が本当なのかの判断に困るが、明確なのは、息子が12月28日から、なんらかの医療ミス?医療事件が原因で二酸化炭素ナルコーシスになり、呼吸停止・昏睡から、植物人間状態に陥った事は、間違いが無い。と告白している事実。)

岩鼻まゆみと(看護師長)の異常な対応

*注意*

岩鼻まゆみが、『廊下から見ていた。』と告白している録音テープは、こちら

A 岩鼻まゆみは、『中を監視していた。』といっていましたが、廊下に立って監視する必要性がわかりません。

*注意*岩鼻まゆみが、『廊下から見ていた。』と告白している録音テープは、こちら

岩鼻まゆみの録音テープの抜粋

母親   うちの子供の頭に、ビニールをかぶせたという事を先生から聞いているんです。それは、ご存知でした?

 

婦長   はい、それは、私、外にいて、見ておりました。一緒に、観察しておりました。

上記の言葉は、初めから告白していたわけではありません。

最初は、「息子さんは、28日の日、まったく問題はありませんでした。問題が起きたのは、29日の朝、お父様がいらしてからですよ。」

と、まるで、父親に責任をかせようとするかのような内容でした。

隠蔽される真実:岩鼻まゆみ看護師による報告書の矛盾と「ナイロン袋」の証言

【はじめに:警察の捜査と医師の虚偽答弁】

所沢警察の刑事に対し、若松医師はこう断言しました。

「防衛医大病院の小児病棟では、ジミー君の頭にビニール袋など誰も被せていない。一人もいない」

 

この言葉を信じ、警察は「操作(立件)できない」と結論付けました。

しかし、これは明らかな嘘です。

私たちが手にしているのは、彼ら自身の言葉を記録した録音テープだけではありません。

岩鼻まゆみ.jpg

【決定的な証拠:看護部長宛ての報告書】

岩鼻まゆみ看護師が当時の福間恵子看護部長に提出した書面(報告書)には、驚くべき事実が記されていました。

そこには、私が**「息子にナイロン袋を被せた際、事前に連絡がなかった」**とクレームを入れた旨が記載されています。

この記述こそ、岩鼻まゆみ看護師自身が**「親の承諾なく、息子の頭にマーケットにあるような薄いナイロン袋を被せた」**という事実を、組織に対して認めた証拠に他なりません。

【変遷する供述と「ゴミ袋」の使用】

以前、若松医師と岩鼻看護師は、紙袋がなかったため、病室にあった**「薄いタイプのナイロン製ゴミ袋」**を使用したと説明していました。いつの間にか言葉を「ビニール袋」にすり替えて隠蔽を図っていますが、この看護部長宛ての書面では、つい使い慣れた「ナイロン袋」という言葉が出てしまったのでしょう。

【捏造された「適切な処置」という嘘】

岩鼻看護師は書面の中で、以下のように主張しています。

  • 「過換気の治療として、モニターを観察しながら慎重に実施した」

  • 「肩呼吸ではあるが、低酸素脳症にはなっていない」

しかし、これらはすべて捏造です。若松医師自身が録音テープの中で**「12月28日午前11時頃には、低酸素脳症(二酸化炭素ナルコーシス)で目が開いたまま(意識混濁)の状態だった」**と自白している事実と真っ向から矛盾します。

【解明されるべき7つの疑問】

当日退院予定で、朝食もしっかり食べていた元気な子供が、父親が病室を離れたわずか1時間の間に、なぜ以下のような無残な状態になるのでしょうか?

  1. なぜ、脳内に大量出血が起こったのか?

  2. なぜ、首に赤い痕が残っているのか?

  3. なぜ、鼻血が出ていたのか?

  4. なぜ、42度もの異常な高熱が出たのか?

  5. なぜ、血糖値が300〜500という異常値を示したのか?

  6. なぜ、体が硬直する仮死状態に陥ったのか?

  7. なぜ、脳へのダメージ(低酸素脳症)後に起こる「ミオクローヌスてんかん」が発症したのか?

これほど多くの異常事態が重なりながら、「何もなかった」「適切だった」という言葉を信じることはできません。防衛医大病院の若松・岩鼻両氏は、口裏を合わせるのを止め、真実を明らかにして謝罪すべきです。

​他人の子供の頭に、ナイロン袋を被せて、よく、白々しく、こんな言葉が書けるものです。

若松太の会話の録音テープは、こちら

若松太の会話の録音テープおこし、こちら

このホームページは、所沢警察の警察官の指示に従い作られています。また、制作責任はライアン美紀の責任において作られております。ホームページを制作して下さっている方等、他のいかなる人々にも責任はございません。

*ご注意*

このHP上の神戸先端医療振興財団と理化学研究所・防衛医科大学校病院というのは、全体を意味しておりません。あくまでも再生医療・幹細胞研究グループや小児科の一部の医師を意味しますので、ご了承ください。また、同様に、アメリカ大使館というのは、当時のアメリカ大使館であり、現在のアメリカ大使館ではありません。ご注意ください。

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